骨模型をもつ女性施術者

田村祐子(うさぴこ)

東京都出身。うさぎ年、山羊座、AB型。
現在は夫と実母の3人暮らし。

子どもの頃は、喘息、アトピー持ちで神経質な性格で、
漢字を書くのに定規を使うようなタイプだった。
やせっぽっちで太れないのがコンプレックス。
運動はお世辞にもできる方ではなかった。

お絵かき、マンガが好きで子どもの頃から絵だけはよく褒められた。

●中学・高校時代

・小学校を卒業する間際から、あることをきっかけに両親が不仲となり、東京から新潟という不慣れな土地に転居する。

その頃は朝から夫婦喧嘩を目の当たりにすることもあり、思春期の心を直撃。
中学2年の頃に不登校を経験する。
出席日数は厳しかったが、なんとか進級する頃までに立ち直る。

不登校の話(1)〜(3)

水泳部に入りガンガン体を冷やして震えていた。

 

・高校は保育科に入学。
当時は幼稚園教諭や保母の道を考えたが、ピアノがまったく弾けないため、路線変更して卒業後は専門学校で心理学を学ぶことにする。

何より、早くこの家を出て、離婚して出ていった母の元で一緒に暮らしたいという想いが強かった。

高2で両親が離婚して以来、バイト代が自分の食費となり、バイト先の賄い、コンビニ食に助けられ、お金のない辛さを長く経験することになる。

 

●2つの専門学校

・心理学を選んだのは、カウンセラーという職業に興味をもったのと、中学時代に不登校の経験があったため、その当時の自分自身を知りたいという想いがあったのだと思う。

結果、家族という基盤がグラグラだと、子どもは安心して学校にいけなくなるのね、というのが学んで得た答え。

 

・その後フリーターをしながら食い扶持を稼ぎつつ、心理学科在籍中からなりたかった「養護教諭」の道を目指して貯金をし、再び専門学校に入学、養護教諭2種免許を取得する。

 

●養護教諭として12年勤務(たぬき時代)

・専門学校を卒業してすぐ、浅草の幼稚園に養護教諭として勤務をする。

この頃、わたしのキャラクターは「たぬき」だった。

子どもたちに「せんせいなにぐみ?」と訊かれたときに、「たぬきぐみだよ〜」というと子どもが喜ぶので、それがなんとなく定着した。

わたしの中で、「たぬき」は自由奔放な存在。

これまでの苦しい、不安で抑圧された長いトンネルを抜け、やっと解放された喜びのキャラクターでもあった。

お手玉するたぬき

 

・生まれて初めてお金に困らない生活となったこともあり、趣味を謳歌しまくったのもこの頃。

料理教室に通ったり、二胡や自転車など、やりたいと思ったことはとにかくやってみた。

養護としてだけでなく、なんでも屋的な存在でいろいろ重宝され、自分の中に自信のようなものを少しずつ育てていけた時期だった。

 

・一方で、それまでのコンビニメインの生活から少しだけ脱却したが、外食、たまに家飯という乱れた食生活は相変わらずだった。

 

●無理がきかなくなってきた30代

・20代後半頃からPMSがひどくなり、月の半分は鎮痛剤を飲むという生活を普通に送るが、夜中に痛みで目覚めるなど徐々に支障がでてくる。

この頃、漢方やピルに頼っていたが、あまり芳しい結果は出なかった。

・かかりつけ整体院で2週に1度、体をメンテナンスするのが楽しみになる。

 

●整体の道へ

・34歳のとき、自転車を通じて知り合った夫と結婚。その翌年幼稚園を退職。

と同時に、それまで患者として通っていた治療院で産前産後の女性のための整体技術を学び始める。

 

・ところが整体師として働くうちに、患者さんをどうこう以前に、自分の体の使い方がまずいと気がつき、

「どうやったら体を楽に使えるか」

が自分の中の課題となっていく。

何も考えない、自由な「たぬき」でいることを手放し、自分で自分を変えようと決めたとき、新たなキャラクター「うさぴこ」が誕生した。

ドロンと現れるうさぴこ

 

●体を自分で変えるために試行錯誤を始める(うさぴこのはじまり)

・手始めに、生まれて初めてパーソナルトレーニングを受ける。

そこで足裏のケアや骨盤の動かし方、体幹の意識の仕方などを学び、その頃から顕著に姿勢や歩き方が変化して、体が楽になったと感じるようになった。

 

・その経験を通じて、「整体だけでは体をととのえられない」という現実に気がつき、日常の動きやピラティスなどを施術の一環として取り入れたいと考えるようになる。

そしてピラティスやフランクリンメソッド、抱っこやおんぶなど、体に関する知識を学ぶために自己投資するようになった。

 

・けれど様々な学びが深まるにつれ、自分がこれまでなんの疑問をもたずにやってきたことが、いろいろおかしいと矛盾を感じるようになる。

これまで教わって患者さんに実施してきたエクササイズや、施術のやり方など院長との間に溝ができ、治療院の方向性を見直す時期に離れることを決意する。

 

●現在のサロンの開始と東洋医学

・幸いにも義父の住まう一戸建ての2階が空いたため、そこを借りてサロンを始めることになった。
閑静な住宅地。
なかなか知名度も上がらないまま、自分のやってみたいと思ったことをとにかくやってみて、形にしながら現在に至る。

 

・この頃、フランクリンメソッドで出会った鍼灸師の先生とのご縁で「東洋医学」を学び始める。

食生活を始めとする生活の乱れが、体に影響を及ぼすことを何となく知り始めたのがこの時期。

ところが本腰を入れて生活改善を行わずにいたところ、昨年の猛暑の後から次々と体に問題が起こり始め、ついには子宮頸がん検診で「高度異形成」と診断され、手術をすることとなった。

 

・その結果、ごく初期の「子宮頸部腺がん」であることがわかり、それを機に生活を一新して生理をととのえることに集中するようになる。

そうして3ヶ月で生理が改善し、子宮頸がんの残存0が確認されたことで、東洋医学の素晴らしさを広めたいという想いをもつようになり、現在の「月経カウンセリング」や「メール相談」を始めることとなった。

カウンセリング中

 

うさぴこの想い

プロフィールにどこまで書けばよいか悩みましたが、わたしはこんな環境・経験を経て今に至ります。

苦しい時期もありましたが、これらがあったからこそ今の自分があるのです。

人との出会いによって、わたしは自分を変えるきっかけを得ました。

その人々からは、大事な知識という財産を教えていただきましたが、それらを活かすも捨てるも自分次第です。

自分はどうなりたいのか?

誰のために変わりたいのか?

皆さん様々な想いをもって、このサイトを見つけてくださったのだと思います。

少しでも皆さんの体を楽に変える後押しができるように。

 

今日も利用者さんの体と献立について考えています。

 

生理をととのえるうさぴこ飯のバナー

↑日々の食事はこちらからのぞいてみてね♪

 

●取得・修了した資格等
・アラウンドバースボディセラピスト
・BESJマットピラティス指導者資格保有
フランクリンメソッドLevel1エデュケーター
・BYA(ベビーヨガアソシエイト)認定「抱っこマイスター」
・風の音治療院 安部雅道院長主催「からだの学校」ベーシックコース修了
・同アドバンスコースを修了

また、オステオパシー誇張法も受講中です。

 

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